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著者プロフィール


バイブルメッセージ   

−わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせてくださる神−

森正行氏

5.神はどんな仕事をさせるのか?
(6)  家庭も礼拝も大切なものを両立させる仕事
神は、仕事も、家族との触れ合いも、教会生活も両立させる≠アとができます。
「どれかを犠牲にしなければならない」と思う必要はありません。
なぜなら、神にとっては、教会での礼拝や兄弟姉妹との交わりも、夫婦・親子との親密な触れ合いも、この世に神の愛と栄光を証していく職場・仕事も、どれもが大切だからです。

 この三つを両立させることができるのは、神のみです。
人の知恵や能力では、これを実現させることは困難です。
しかし、人知を越え、不可能のない全能の神にとっては、これが可能であり、私たちの想像を超えたご計画をもって、これを実現させることができます。

 この世では、多くの人々が、仕事と家庭の両方を充実させることに、困難を味わっています。そして、「どれかを犠牲にせざるを得ない」との判断を下す人は少なくありません。
家庭の事情を考えると、望んではいない単身赴任の辞令を受けて承諾したり、マイホーム主義を重んじて退職や転職を決意した人もおられるでしょう。
クリスチャンであるならば、仕事と家庭だけではなく、教会での礼拝や教会員との交わりが何よりも大切になります。しかし、職場の日曜出勤や出張・残業の増加、肉体的または精神的疲労などがあって、やむを得ず礼拝は欠席がちになったり、あきらめてしまう気持ちになることもあります。

 仕事と家庭と教会の両立に困難を感じていたり、どれかを犠牲にしていたり、どれかをあきらめてしまうようなこれらのケースは、いずれも共通した出発点があります。
それは多くの場合、自分の頭で考えたり、自分の能力に頼っている、ということです。
「どうしたら、仕事も家庭も教会での礼拝や奉仕を両立させること、充実させることができるだろうか?」
「今でも忙しいのに、これ以上に、家庭や教会でのサービスに励めと言うのか?」
「私の職場は日曜日が書き入れ時だから、礼拝にも行きたいけれど、無理だよなぁ」
これらの思いは、自分の頭で考えた結果、生まれるものです。

 私たちは、聖書の神をまだよく知らなかった時は、困ったことがあれば、自分の頭で考えたり、誰かの助言や何かのガイド本を頼って、解決を得ようとしてきました。
そして、その思考パターンや習慣、生き方は、クリスチャンになってからも続けがちです。しかし、年月を経て気付いてみれば、以前とあまり変わらない自分の姿を見ることになります。

 聖書の神は次のように言われます。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。
箴言3:5−7

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ書55:9

ダニエル書に登場するダニエル、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴたちは、バビロンの国とその王ネブカデネザルの支配下にあり、度々、王の命令に従うか、それとも神の教えに従うか、どちらか一つを選ぶように迫られました。
王の命令を優先するなら、彼らや関係者の命は保証されるが、神との関係を失うことになります。
神の教えを優先するなら、神との関係は保持されるが、彼らや関係者の命を失うことになります。

ダニエルたちにとっては、神の教えも、自分たちの命も、関係者の命も、神とともに働くことも大切でした。
神にとっても、神の教えと、ダニエルたちや関係者の命、ダニエルたちに用意した計画の実現は大切でした。

このとき、ダニエルは自分の頭であれこれ考えませんでした。
ダニエルは、自分でどうしようかと考えたのではなく、シャデラクたちと綿密な協議を重ねたのでもなく、王に上訴したのではありませんでした。
また命を守るために王の命令を優先したのでもなく、神の教えも、自分たちの命も、関係者の命も、、これからも続ける神との仕事も、みな大切なものとして受け止めた上で、神の教えに従いました。そして、殺される危機にあったものの、自分たちの命は神が守ると信じました。

その結果、ダニエル書1:1−19においては、王の命令に背いたものの、神が不思議を行われ、ダニエルたちの命も関係者である宦官の命も守られました。
ダニエル書3:1−30においては、王の命令に背いたものの、また神が不思議を行われ、シャデラクたちの命は守られました。
ダニエル書6:1−28においても、王の定めた法律に背いたものの、またまた神が不思議を行われ、ダニエルの命はライオンの牙から守られました。

ダニエルたちは、どれかを犠牲にしたり、失うようなことはなかったのです。
それどころか、王から高い信頼を得ることになり、さらに重要なポストを与えられ、使命に励んでいきました。

ダニエルたちの神は、私たちの神です。私たちにはダニエルたちと同じような特権が与えられています。
神への礼拝、教会での交わりや奉仕、夫婦・子供たちとの親密な交わり、職場において隣人を愛し、神の栄光となる働きに励むこと。これらはどれもが大切で、どれも失ってはならないものです。
そこには、色々な圧力、物理的・時間的な困難などが現実のこととして襲いかかってくるでしょう。
しかし、私たちは信じて告白するのです。

「私の信じる神様は、神への礼拝も、教会での交わりや奉仕も、夫婦・子供たちとの親密な交わりも、職場において隣人を愛し、神の栄光となる働きに励むことも、神の知恵と神の力と神の愛をもって、これらすべてを両立させ、充実させてくださる神です。私には出来ませんが、神様にはできます。神様、私を用いて、あなたの栄光を現してください。」

ぜひ、ダニエル書をお読みください。

 注意すべきことがあります。

  大きな仕事をやり遂げたり、高い地位にある人たちは魅力的に見えたり脚光を浴びます。しかしクリスチャンであって仕事に大きな関心を持ちながらも、神への礼拝や教会での奉仕、家庭において夫婦親子の関係を避けたり大切にしない場合、仕事である程度の成功を収めることはあるかもしれませんが、神からの高い評価と神からの助けは、原則的にあまり得られません。
 神にとっては、礼拝や教会の奉仕を軽んじたり、家庭サービスに努めることを避けるクリスチャンは、原則として「世の光」ではないからです。世から評価を得るだけです。
「礼拝を大切にしなくても、家庭を大切にしなくても、聖書の神は職場の仕事を助けてくれる神様だ」と、神は人々から思われたくありません。

 仕事をやり遂げることよりも、より良い神との関係と隣人関係を築くことの方が、神は大切にされているからです。

 

 

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