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著者プロフィール


バイブルメッセージ   

−わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせてくださる神−

森正行氏

「わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせてくださる神」というテーマでのバイブルメッセージは、今後も引き続いて連載してまいりたいと思いますが、僭越ながら、私自身がこれまで仕事について体験してきましたこと、そして神のあわれみと恵み、神の個人的導きを6回ほどに分けて証しさせていただきたいと思います。

(1) 洗礼を受けた前後の頃・・・自己満足の職業観
(2) クリスチャン実業家・正野隆士社長との出会い
(3) シーガイアグループと共催したレーナ・マリア・クリスマスコンサート
(4) 正野隆士社長と三谷康人先生を招いてのクリスマス講演
(5) 犯罪者に対する特別な使命への導き
(6) 死刑囚の友人たちとの福音伝道

個人的な体験・神の恵みの証

(1) 洗礼を受けた前後の頃・・・自己満足の職業観

ノンクリスチャン時代

 私は昭和36年、兵庫県の西宮市、甲子園球場のすぐそばで生まれ、父は小学校教師、母は看護婦、二人兄弟の長男という家庭で生まれ育ちました。

 幼い頃から物を作ることに関心がありましたので、小学生の頃の作文には「将来は設計技師になりたい」との夢を綴っていました。

 その後、大学受験では不合格となり、建築関係の専門学校で学び、京都の不動産会社で土木・宅地開発の設計・許可申請の業務をさせていただきました。しかし、もっと専門的な技術を身につけたかったので、不動産会社を2年間勤めた後、大阪市内の建築構造設計事務所に転職しました。

 この転職のもうひとつの理由は、不動産会社での宅地開発において、建設省や地方自治体、また地元住民への許可申請業務の交渉にともなう人間関係の煩わしさでした。山や田畑を宅地開発するためには、必ず、相互に様々の利権が複雑に絡み、交渉能力や世渡り上手なものも持ち合わせていなければ難しい仕事だと思いました。そして、複雑な人間関係を乗り越えていく仕事は自分の性格や能力には合っていないと思いました。

 一方、転職先の建築事務所では国内外のビルやマンション、工場などの構造計算や構造図面の作成、計算のプログラミングなど、設計業務に専念でき、自分の得意分野を好きなだけさせていただき、毎日が充実していました。

聖書の神との出会い

 そのような時、1985年、23歳の時、私はあることがきっかけで初めて聖書に関心を持ち、教会へ通い始め、イエス・キリストを罪人である私の救い主と信じ、翌年、洗礼を受けました。

 その頃、職場は毎月100時間前後の残業が続くほど忙しく、日曜出勤は半ば当然で、仕事があれば、やむを得ず礼拝を休みました。

 しかし、ある日、アンドリュー・マーレー著の「祈りの生活」を読んだ時、私は神との関係が希薄なままであることを示され、「このままでは私はノンクリスチャンと変わらない人間で終わってしまう」と思いました。それからは、極力、礼拝や祈祷会を大切にしていくようになり、子供たちとはどのように接してよいのかわからないながらも牧師に勧められ教会学校奉仕のお手伝いをさせていただくようになりました。

困難を感じ続けた日曜日の礼拝出席

 当時、私がもっとも困難に感じたことは、日曜日の礼拝出席でした。職場の上司や同僚は業務をこなすために日曜日の休みも返上して仕事を続けていました。しかし自分だけが「日曜日の午前は休む」ということが、上司には言いづらく、時には怪訝な顔をされたこともあり、「ボーナスは減るぞ」とも言われました。それでも頭を下げながら退出するのですが、気持ちは憂鬱になりました。当時、私個人も無意識のうちに日本固有の「和」を大切にする人間関係を美徳としていましたから、「職場の人たちに申し訳ないなぁ」と思う感情的な部分で随分悩んでいました。

 ただ礼拝は心いっぱいささげました。礼拝が終わった後は、事務所へ直行し徹夜残業もありました。日曜日の礼拝と水曜日の夜の祈祷会を守る代わりに、月曜日から土曜日までは一生懸命働きました。

 このころの私の祈りの課題は、「神様、私が日曜日もちゃんと礼拝に出席できるようにしてください」とか「水曜日の夜は祈祷会に参加できるよう仕事を調整してください」というようなものでした。

 今考えれば、まだ自分のための自分の視点に立った祈りでしかありませんでした。

神社の設計依頼

 ある時、比較的大きな神社の神殿や社務所の設計を担当するように所長から言われました。設計の物件と設計所員のローテーションからして、担当は私以外にいなかったのです。一般的に建築家にとって神社の設計は魅力的なものだと思います。しかし、聖書の神がもっとも忌み嫌う偶像の手伝いをすることに私は困惑し、「私には個人的にそれにかかわりたくありません」と所長に言うのが精一杯でした。私が神社の設計を拒めば、その分、他の同僚が背負うこととなり、同僚が多忙になることは目に見えていました。上司にも同僚にも、申し訳ないと思いながらいました。日本のビジネス社会には少なからず神道などの宗教行事があり、クリスチャンがそれに関わることになると、妥協するか、拒否するか、あるいは他の道があるのか、どう対処すればよいのか悩むところだろうなと思いました。

福音を伝えることもなかったクリスチャン

 また、私は職場の人たちに自分がクリスチャンであることを明言することもなく、だれにも福音を伝える機会はありませんでした。本来、クリスチャンであることを人前で告白することは恥ずべきことではないのですが、当時の私は「私はクリスチャンです」と言うことに恥ずかしさのようなものを持っていました。

献身・・・畑違いの道へ

 建築事務所へ転職してから一年後、私はクリスチャンになりましたが、さらに一年後、神様から献身するように召しを受けました。牧師に相談しますと神学校へ行くように勧められました。

 私としては、神様を信じるようになってからも社会人クリスチャンとして、ずっと建築設計の仕事をし続けることになるだろうと思っていたのですが、神様の御心・ご計画は別でした。私のもっとも苦手に感じていた「人間関係に深くかかわる仕事」が私に対する神のご計画だったのです。

 自分にとっては、まったく畑違いの人生に思われましたが、逃亡生活を続け80歳になったモーセをイスラエルの民のリーダーとされた神、漁師だったシモンを伝道者ペテロとした神を、私の神と信じ、これからの自分の人生・将来をゆだねました。

事務所退職

 そのように決心してから、所長に退職の意思を伝えました。

 私をこれまで3年間育ててくれた所長からは、「どうしてやめるんだ。今まで頑張ってきて設計の技術を身に着けてきたじゃないか。建築設計とまったく違うところへ行くなんて、もったいないと思わんか。おまえがわからん。」と言われました。
そのとおりだと思いました。

 しかし、神の導きというものは、聖書の神を知らない職場の方々には理解できないことだとも思いました。

 私自身も想像だにしていなかったことでした。

振り返って・・・私なりの総括

 私が建築設計の仕事を目指し、励んできたのは、私自身の願望であり、夢でした。そして、自分が死んでからも末長く残るであろう設計した幾つかの頑丈な建築構造物が、「私の生き働いたあかし」になるだろうと思いました。また、世間からある程度評価されるような建築物の設計が私の誇りでした。

 私の職業観は一言で言えば、「自己満足のため」でした。

 しかし、聖書を通して新たに知った真実は、それらの建築物はやがて消え去り、世間が評価するものもやがては廃れ消えゆくということでした。

 

 私の人生の建築設計の時期は、野心と迷いと、クリスチャンとして職場では何の実も結ぶことなく敗北していたと言っても過言ではなかったかと思います。

 その原因は、私が「神の栄光のために生きる」という理解や意識がまったく無かったことと、聖書理解の乏しさにありました。

 ただ、この時期の悩みや体験は、私だけの体験ではなく、他の社会人クリスチャン、求道中の方々にも共通するものであろうと強く思いました。現に、今同じような苦悩を味わっている方々には、少なからず、その苦悩を共有できます。

 そして後に、派遣された岡山の教会で、当時ミサワホーム・アイ鰍フ正野隆士社長(現ミサワホーム中国椛纒\取締役社長)との出会いをいただき、ビジネスと聖書は深い関わりがあることを教えられ、また牧師となってからビジネスに片足を突っ込む体験を通して、クリスチャン社会人、クリスチャンビジネスマンへの支援に対する意識が少なからず与えられることになりました。

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