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著者プロフィール



こころと魂の健康
 
 

渡辺俊彦氏

劣等感

 元気に健やかに見える人が、劣等感を抱いていることがしばしばあります。また、自信を失っている人の内に深い劣等感があることが少なくありません。それだけ、劣等感と言われ自分に思いあたらない人はいないでしょう。人は誰でも程度の差はあれ劣等感を味わって生きています。その劣等感を覆い隠すため背伸びをしているのです。ある人は学歴や資格で隠そうとし、また人より多くの財産や名声を得ることで隠そうとします。人は周囲に劣等感を気づかれまいとして背伸びをしています。そして、競争に疲れ生きることに疲れてしまうのです。生きることに疲れている原因の一つがそこにあります。

 私の中学時代の同級生に五人の教師の子どもがいました。その五人の内の一人が私でした。私は五人の中で一番成績が悪かったのです。いつも親や先生方から比較されていました。そればかりか、親は私と弟たちを比較していました。私は、「何をして駄目」「どうせ駄目なんだ」などの気持ちで一杯になり自信を失ったのです。人の前に立って話すことが出来なくなりました。人の前に立つと手や足が震え脂汗が額から流れる様になったのです。そして、人の評価が気になって仕方がなくなりました。また、隣の家がすばらしい世界に見え、自分の惨めさを味わっていました。今、振り返ると当時、劣等感の固まりとなっていたのです。

 人は、生まれた時から劣等感を味わっている人はいません。生育史の過程の中で、誰とどの様に比較され評価されて育ったかによって劣等感は形成されます。また、私たちは、評価されてきた様に人を評価するものです。その評価の仕方が人を苦しめ人を駄目にしているのです。人を駄目にする方法は簡単です。やたらと誉めるか、否定するかです。一方は高慢になり一方は卑屈になります。人は、育てられたように人を育てるものです。私たちは、どのように評価されてきたのか気がつくことが大切です。気がついたら修正すればよいのです。

 教会生活の中にも同じ現象があります。私たちは、奉仕をする姿から人々を比較し評価しています。その評価の仕方が劣等感と優越感を作り育て罪を生んでいるのです。劣等感も優越感も本質は同じです。神はそうならないために、賜物を与えたのです。その賜物を通して、それぞれふさわしく仕えるためです。私たちは、賜物を訓練される必要があります。しかし、賜物を争う必要はありません。互いに与えられた賜物を認め合う関係の中に健康な日常生活があり命があるのです。私たちは、相対的価値基準で評価し人を見ます。しかし、神は絶対的価値基準で私たちを見ているのです。絶対的価値基準は十字架の愛です。この愛は比較の中で愛するのではありません。神は、私を私として100パーセント価値ある者として愛しているのです。この愛の中には劣等感も優越感もありません。

 

 

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