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著者プロフィール



こころと魂の健康
 
 

渡辺俊彦氏

曖昧さ

 年齢を超えて多くの方々と話をしていると感じることがあります。それは、どうも他者の曖昧さを認めることができない人が多いということです。そして、人を「白」「黒」、「良い」「悪い」で評価してしまう傾向が強いのです。ですから、どうも肩がこってしまいます。このような方々は、人の曖昧さに強いストレスを感じているようです。
 私は、ある学校の学生たちに一つの事例を紹介しました。それは、こんな話です。ある人が友人の家に遊びに行きました。その家で予定の時間をオーバーしてしまい、夕食をご馳走になることになりました。そこで、夕食を一緒に作ることになったのです。早速、夕食に必要な食材を購入し夕食の準備を始めました。やがて、何品かのおかずが完成し食卓が豊かになりました。しかし、その食事の準備の過程で味見用の小さなお皿をうっかり落としてしまい壊してしまったのです。私は、このケースについて「あなたならどうするか」「あなたならどう考えるか」「どのように対応するか」を訪ねました。
 すると学生たちは、口々に「当然弁償すべきだ」「人の物を壊したのが悪い」と判断を下したのです。私は驚きを感じました。彼らの思考パターンは、「良い」「悪い」、「白」「黒」しかないばかりか中間がないのです。そればかりか、人の失敗を赦し良しとする理解や受け止め方がないのです。人の「曖昧さ」を承認し受け止めることができないのです。
 このような思考を断定的思考と言います。断定的思考は、「100%」か「0%」しかありません。最近、「勝ち組」「負け組」という言葉を耳にします。この表現も断定的思考パターンです。人生に勝ちも負けもありません。皆、精一杯多く重荷を担い曖昧さと戦いながら生きているのです。このような思考で育てられ関わられた子どもたちはどうなるでしょうか。
 自分の感情を抑圧し「愛されるため」「受容されるため」相手に一生懸命に合わせてしまいます。このような人々の特徴は、物事に協力的でチームワークに適しています。一見、人間関係も問題がなさそうに見えます。しかし、自分が「受容されていない」「愛されていない」「評価されていない」と感じると落ち込みがひどくなり、抑圧気分になってしまいます。また、「悪いのは全て私なのだ」という思考にもなってしまいます。私たちは、協調性の意味を再確認する必要があります。何より大切なことは、自分も人も曖昧な存在でありその曖昧さを、そのまま受容されていることを知り体験する必要があります。
 イエス・キリストは、弟子たちの失敗の生涯と曖昧さを受容しながら愛されました。弟子たちの代表者であるペテロの生涯にその姿が表れています。主イエスにどんなことがあっても従う決心をしていたペテロ。そのペテロが主イエスに、「引き下がれサタン」と強烈な言葉を浴びせられる経験をした。また、主イエスを裏切り逃げ出したペテロ。そのペテロの曖昧さを受容しそれでも「私を愛するか」と問うて下さった主イエスがおられます。主イエスも曖昧さを良しとして下さったのです。
私たちは互いの曖昧さを受容できる者とさせていただいているでしょうか。自分の思考の点検をしてみることをお勧めします。

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