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著者プロフィール



こころと魂の健康
 
 

渡辺俊彦氏

万能薬

 教会生活には万能薬となっている言葉があります。その万能薬とは「それは神のみ心です」という言葉です。私たちは、病気、様々な失敗、失望、罪責感などを経験する時、心が混乱してしまいます。そればかりか、心深く傷つき深い孤独を感じます。そんな時、「それは神のみ心です」と言われると否定的言葉として響きます。そればかりか、その言葉は残酷な言葉でしかありません。私たちは、ますます心深く傷つきます。また、神ご自身がまるで自分の人生の出来事に対して、鈍感で無関心、無情に感じることがあります。
 神のみ心は不条理で不合理に感じるのです。その一番の良い例はイエスご自身です。それはイエスの十字架の死です。イエスはゲッセマネで「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)と祈られました。イエスご自身が不条理、不合理を感じているのです。全く死と無関係のお方が死を味わいました。この不条理、不合理が救いをもたらしたのです。
 私たちは、人生を脅かす出来事や危機的状況を体験するとき、不合理、不条理、不明瞭さを感じます。あるいは、出来事の意味を知ろうと理性を駆使します。この態度は、回避のひとつで、現実の出来事を受容することを止めて拒否しようとする姿です。神は、私たちが経験する出来事を神学的に意味不明でも、理屈に合わなくても受容することを期待しています。
様々な出来事を通して私たちの内面に問いが生じてきます。その問の答えは誰も見いだしてくれません。自分で見いださなければならないのです。結局、内なる問いは自分に帰ってくるのです。しかし、明確な答えはありません。むしろ、様々な出来事を通して人生が私たちに問い続け語りかけているのです。それは、私たちの人生における出来事をどのように受け入れ、生きるかが問われているのです。この態度、それこそが神のみ心です。
 ある会社経営をしているAさん(キリスト者)がいます。その方の会社に、パートとして仕事を始めたひとりの主婦がいました。一ヶ月ほどした頃です。Aさんは、そのパートの主婦の方に感情をぶつけられ悪口雑言いわれました。Aさんにとって身に覚えのないことでした。Aさんは心深く傷つきながらも、自分のいたらなさを噛みしめていたのです。しかし、なかなかその出来事を受容することができないまま混乱し、失望落胆してしまいました。教会の方々は「辛い経験だけどそこにも神のみ心があるから」と励ましの言葉をかけて下さったのです。実は、その言葉はますますAさんを傷つけ心を頑なにしました。そして、ストレス緩和のためにドライブや旅行に行きました。ところが、現実は混乱と苦悩が深くなってしまったのです。
 私たちが、日常の出来事から逃避すればするほど、混乱と苦悩は深くなるものです。天と地を創造した神は、私たちの人生をも創造して下さったのです。その神が出来事を通して出来事を受容し委ねることを語りかけて下さっています。それは、神が私たちに「聖くなること」を期待しているからです。神は、私たちが現実の生活を生きるだけではなく、主に献げる生活を通して聖別されることを求めておられるのです。人生の出来事ひとつ一つは「聖くなること」に深く関わっているのです。

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