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著者プロフィール



こころと魂の健康
 
 

渡辺俊彦氏


反省と悔い改め

 一時期、猿が反省するポーズが大流行した時代がありました。教会でもそのポーズが人々の笑いを誘ったものです。しかし、この「反省」と教会で使われる「悔い改め」との違いを理解している人は意外に少ないようです。まだ、私も若き頃、よくバイブル・キャンプ等に参加しました。その度に見られる現象がありました。それは、バイブル・キャンプの参加者が毎年毎年、悔い改めの祈りをする姿です。悔い改めるのはすばらしいことです。しかし、悔い改めの祈りをしている人たちが殆ど同じなのです。説教者が聞き手に、それも重箱の隅をつっつく様に、「これでもか」、「これでもか」と悔い改めを求めるのです。また、「あなたはそれで大丈夫ですか」と迫ります。これらは、伝道会や聖会などにも見られる現象ではないでしょうか。いったい、私たちは、どのくらい悔い改めたら赦されるのでしょうか。
  反省は悔い改めと違います。私たちは、日常生活の中で人間関係に失敗したり、他者に失礼なことをしてしまうことがあります。私たちは、普段冷静に物事に対応し判断して生活しています。しかし、時々その冷静さを失い感情をコントロールできなくなることがあります。私たちは、無意識の中でコントロールしています。しかし、日常の様々な出来事の中でコントロールが効かなくなってしまい感情を相手にぶつけてしてしまう経験をするものです。そのとき、高揚した感情は必ず時間の経過とともに低下します。すると、感情のコントロールが開始されます。このコントロールが始まると「あの時は申し訳ないことをした」と思うようになるのです。そして、「さっきはご免なさい」となる訳です。この現象は、良心の責めからくるもので後悔というものです。これが、反省です。
  私たちは、バイブル・キャンプや普段の集会で証し、賛美、説教などを通して感情が高揚することがあります。そして、自分の様々な失敗等を思い起こします。その結果、良心の責めからくる後悔が反省と悔い改めとが混同されるケースが少なくないのではないかと感じています(もちろんそうでない人もいます)。キリスト者の寿命が三年と言われる原因の一つではないかと思のです。
  真の悔い改めは、聖霊によるものです。聖霊は、罪と義と裁きについて教えます。そして、神に対して悔い改めが生じるのです。イエスはただ一度だけ、十字架について私たちの罪の身代わりになって下さったのです。私たちの罪は、十字架で決算されているのです。パウロは、それを「認めよ」といっています。パウロはこれでもか、と悔い改めを迫ることはありません。
  一般社会の人々や普通のカウンセラーは、罪の概念を取り除くことによって問題を解決しようとします。そして、「私も同じ」「私なんか教会に行っていない」という言葉をもって相対化し対応します。神は、後悔ではなく悔いた心を神は喜ばれるのです。
  かつて、礼拝に熱心に来ていた子どもがいました。しばらくしてあることが問題になったのです。それは、子どもたちが献げた献金を献金袋から盗んでいたのです。そればかりか、教会から家に帰るまでの道中、一軒一軒商店に入り万引きを繰り返していたのです。当然、大変な問題になりました。その子どもは一応「ご免なさい」とあやまりました。しかし、それは皆に指導され生まれた後悔からでした。その後、他の場所で同じようなことを度々繰り返していたのです。
  それから、随分時間(数年)が経過しました。ある日、その彼が自分から進んでイエスを救い主と信じ、自分の罪を悔い改めました。聖霊が罪と十字架を教えたのです。彼は、過去から自由になり、自分の道をしっかりと歩み始めました。今、りっぱな社会人として生活しています。

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